マイ北海道弁

プロフィール:1987年札幌生まれ。

親が使っていたり自分が使う方言について自分的解釈を含めて書く。

 

・助詞が脱落しがち。「目ー痛い」「手ー出して」

・語尾に「わ」を付ける。女性言葉ではない。「そうなんだわー」

・疑問形で「かい」を付ける。「○○したかい?」

・命令形「見れ」「すれ」「投げれ」

・勧誘の「行くべ」「行くべし」

・確認で「行くしょ?」これは「行くでしょ?」の略。

・自発の表現「書かさった」「押ささった」「書かさんない」でも蓋があかさんないとは言わない。開かないという自動詞があるから。

・(おやすみー、というか、寝るわー、と言って自分の部屋に行く)

・「〜したっけ〜」=〜したら〜なった

・「〜ちゅったっしょ」=〜って言ったでしょ

・「〜行ったさー」=〜に行ってきたんだよね

・「なんもないでや」=なにもないよ

・「行くんでなかったっけ」=「行くんじゃなかったっけ」

・「〜したもねー」=「〜したものね」

 ・いずい(むずがゆい)→友達が言ってた。

・うるかす(水に米を浸しておく)

・ぼっこ(棒)、ぼっこ人間、ぼっこ手袋

・おっちゃんこする(幼児語

・ガスかかる(霧がかかる)

・猫がかっちゃく→友達が言ってた

・あずましー→おばあちゃんが言ってた

・げっぱ(徒競走でビリ)

・あー、こわ(あー、疲れた)→お父さんが言ってた

・つっぺ(鼻につめものをすること)

・デメントリ→お父さんが言ってた

・とーきび(が北海道弁らしい)

・ごみ投げ、ごみステーション

・バッテン(❌)

・やわい(柔らかいの略)

・鍵かる(鍵かける。じょっぴんかるの変種)

・しゃごむ=しゃがむ

・あるってたら=歩いてたら

・どってんこいた=びっくりした

・もちょこい、こちょばい、こちょばす(くすぐったい、くすぐる)

・ばくる→友達が言ってた

・ちょすなー(いじるなよー)→友達が言ってた

・ゆるくない(簡単でない)→どっかで聞いたことある

・ぶっつける=ぶつける

・しみ豆腐=高野豆腐

・泡食う=慌てる

・うちんち=私の家

・や、=いや、〜

・うりぼう=猪の子供

観楓会=会社の秋の飲み会イベント

・こっこ=にしんの卵とか魚の卵

・嘘こく=嘘つく

・ほとけさん=死んだ人

・くっちゃべる=ぺちゃくちゃ喋る

・おっかない=怖い

・汽車=JR

・焼き場=火葬場

・まるつけ=採点

・丸まんま=丸ごと

・こまい=小さい

・しゃけ=鮭

・おまんちょこ=女の子の○○○

・茶碗洗う=お皿を洗う

・けつまずく=つまずく

・菜っ葉=葉物の野菜

・ほっぺた=ほっぺ

・みしてー=見せて

・むずい=難しい

・根雪、牡丹雪、雪虫

・行かれない=行けない(自分が)

・あっためる=役所・会社などで申請書・企画書などを取り上げないで放りっぱなしにする

・ほろう=払う

・お寺さん(自分の家のお墓があるお寺)、仏さん(お盆にお墓参りする対象)

・前掛け=エプロン

・目糞鼻くそ歯くそ耳糞目やに

・ぶす色=あざのような紫色

あぶらげ=油揚げ

日本霊異記 メモ

上4 藹法師の弟子円勢師は、百済の国の師なりき。日本国大倭の国葛木の高宮の寺に住みき。

 

上6 老師行善は、俗姓は堅部の氏、小治田の宮に宇御めたまひし天皇のみ代に、遣はされて高麗に学びき。

 

上7 禅師弘済は、百済の国の人なりき。百済の乱れし時に当りて、備後の三谷の郡の大領の先祖、百済を救はむがために遣はされて旅に運りき。

 

上11 高麗の学生道登は、元興寺の沙門なりき。山背の恵満が家より出でき。

 

上14 釈義覚はもと百済の人なりき。その国破れし時に、後の岡本の宮に宇御めたまひし天皇のみ代に当りて、わが聖朝に入り、難波の百済の寺に住みき。

 

上17 伊予の国越智の郡の大領の先祖越智の直、まさに百済を救はむがために、遣はされて到り運りし時に、唐の兵に擒われ、その唐の国に至りき。

 

上26 大皇后の天皇のみ代に、百済の禅師ありき。名をば多羅常といひき。高市の郡の部内の法器の山寺に住みき。

 

上28 法師、五百の虎の請ひを受けて、新羅に至り、その山の中にありて法花経を講ず。時に、虎どもの中に人あり。倭語をもちて問ひを挙げたり。

楊海英『日本陸軍とモンゴル』(メモ)

川島芳子の夫はガンジョールジョブ(1903~1971)というモンゴル人。ガンジョールジョブの弟はジュンジョールジャブ(1906~1967)。

二人とも日本の陸軍士官学校を出て、満洲国の青年将校となった。

二人の父親はバボージャブ(1875~1916)で、日露戦争時に、日本軍の先導をつとめた。

1937年モンゴルの民族主義者たちは日本の力を借りて中国からの独立をねらい、モンゴル聯合自治政府(後のモンゴル自治邦)を作った。

日本の陸軍士官学校満洲の興安軍官学校、モンゴル軍幼年学校で学んだ。

・著者の大学生時代、北京の外国大学の日本文学の教授人は日本から中国にもどった「帰国華僑」ばかりだったので、中国語がほとんど話せない先生ばかりだった。

高校の日本語教師二人のうち一人は、戦時中に仙台に留学していた漢族。もうひとりは満洲国時代にモンゴル軍の将校だったモンゴル人。

・ロシア語はモンゴル人が出会った西洋人の話す言葉、近代化のマーク。

清朝政府は莫大な賠償金を支払うため、草原開墾による農耕地開拓に収入を期待し、人口増加緩和のためにもモンゴル草原に入植。

黒龍会との関わり。

・当時の日本のモンゴル観は、モンゴル人と日本人は似ている。シナ人とは違う、というもの。

・1928年志賀島に「蒙古供養塔」を建てることになった。グンサンノルブ親王とは、モンゴルのハラチン部族の親王1903年に日本式の女学校をハラチン地域に設置。

鳥居龍蔵の夫人が教鞭を取った。

・1929年7月に東北蒙師範学校が成立。

・日本人が大々的に満洲に入植したのも、日本の国益のためにモンゴルの独立を認めないのも、やってることは中国と同じである。

・「今日、モンゴルもチベットも、そしてウイグルも民族ではなく、単なる「族群」だと中国政府は定義している。それぞれの「族群」は無条件で「中華民族の一員」を成し、漢民族への同化が強制されている。中国共産党はまるで日本帝国主義を引き継いでいるかのようだ。」

 「関東軍が強制していた日本語は中国語に変わり、草原を開墾するのも少数の日本人開拓団から何百万人もの中国人農民へと変化した。」

ヤルタ協定の内容は「内モンゴルは現状維持」とモンゴル人の同意なしに決められた。→台湾と同じ。

西村忠雄『京滋バイパス運動史』メモ

・情報を早くつかむ

 議会議事録を見る。

住民運動組織をつくる

 町単位を超えた関係地区に情報を流して運動組織を作る。自治連の活動が大事。学者、若者、労働者も参加してもらう。

・広報をする、情報公開をする

ピ・ウジン『女性軍はチョコレートを好まない』(メモ)

・1979年8月、著者は女性軍訓練所の中隊長に任命される。女性士官候補生、女性副士官候補生以外に英文のタイピング教育を受ける男性兵士の教育を担当した。アナウンサーとして有名なソン・ソッキもこの時の部隊員だった。

・4ヶ月後、特戦教育を受けるため訓練所で訓練を受けた。この時に12・12事態が発生。特戦司令官連行事件があった。内務班で銃声を聞きみんな何があったのかと右往左往していたが、指揮統制室から誤発事故だからじっとしていろという連絡がきた。それが特戦司令官(정병주)を連行する過程で起きた銃撃戦だった。翌日何もなかったかのように訓練を受けるため外に出ると、指揮所の後ろに死体が一体放置されていた。それが特戦司令官の秘書室長だったキム・オラン(김오랑)だった。

1980年度に全斗煥三清教育隊を作ったが、三清教育女性軍中隊も作った。

・長としての指揮官は部下達が信じてついていける良い意味のカリスマを維持してこそだ。人間的なコミュニケーションと共に公私が明確な厳格さを持っていなければならず、なにより全てのことに率先垂範できなければならない。